何かをやってる「過程」に意義はない!

よく何かをやっている「過程」に意義がある、と聞きますが、私は意義なんてないと思います

そういう私も今は、新しい職場で覚えることが山ほどあって、「何かをやっている過程」なのですが、この時間がなければあれもできたのに、これもできたのに、と思うほどムダな時間だと感じます。

確かに何年も前には何かを勉強したり、仕事を覚えたりする過程で、1つずつ疑問を紐解いていくことが楽しかったし、自分が進歩している実感が沸いてなんとも充実している頃もありました。だから、そんな時間、というか「過程」が好きで、「意義がある!」な~んて思ったりもしました。

でも、自分が歳をとったからか、世の中が変わったからか、よくはわかりませんが、最近はそんな時間が煩わしくて、そんな時間があったらいろいろできたんだと考えるようになりました。

だから、早く仕事を覚えて、余裕のある状況を作って、もっともっと効率的でかつ効果的な行動がとれるようになりたい!って思います。

今になれば、何かをやっている過程というのは、次のステップに進むための単なる作業なはずが、その快感が忘れられずに、その過程を経ること自体が1つの目的になってしまっていたなって思います。

自分が未熟だから、1つずつでも成長している実感が好きだっただけですね。

一言で言えば、「未熟」だったわけです。それをいいことに、「意義がある!」と、勘違いもいいとこ。一種の「逃げ」ですよ。

もう最近はスピードの世の中、そんなことしているうちにどんどんおいていかれます。

過程を大事にして、「そこでいろんなことに気付く」なんて言い訳に過ぎないです。気付いたらさっさと次のステップに移って、どんどん新しいことに取り組んだらいいのだと思います。

「過程」を語らなくていいと思います。すべては結果なので。

結果を出せるようになれば「過程」はどうでも良いわけですねw 

結果が出せるようになって、余裕が生まれれば、もっともっといろんなことにチャレンジができる状況になるんだと思います 「過程が大事」なんて言っている人に限って、やるべきことから逃げているように感じます。本当にやっている人は「過程」を語りませんからね




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